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最後の親孝行

最後の親孝行

はじめに、この文章を公開しようと思いました訳は、病気に成ったら病院に行き治療をして頂きますが、患者の意識が有り、言葉に出来たら本人に選択出来、治療に成ります。しかし、私が体験したものは、母が救急車で緊急病院に運ばれ治療されて、半身不随で苦しんでいる母を病院は転院させたのです。

その後母は、意識不明に成りました。私はこれ以上苦しめたく無く、薬の使用を止めて欲しい事をお願いしました。しかし、止められないと医師は話されました。医師の心が分かっていたら、私は選択が増えたと思います。本文の中には、医師の本音や組織の対応など分かった事が有ります。ほとんどの方は、医師の言うがままに搖動されているのでは無いでしょうか?この文章を読まれたら、きっと選択が増えると思います。

長文ですが最後までお読み頂けると、希望が持てると思います。

 

 

12月の寒い夜でした。10時頃に母が急にベッドから1人で起きる事が出来なくなり、119番へ電話をし、11時ごろ救急車で●病院に運ばれました。(それまでは、家の中で歩行器を使用し、介護1の認定を頂いて1週間に2日は元気にデイサービスに通っていました。)診断は「左頭部の脳出血」で、血圧が高かったので血圧を下げる薬を投与されました。この日は集中治療室で入院となり、眼球が左上を向いたままで、首が左を向き右手右足の自由が利かなくなっていました。病院の先生の話では、目の向きは、脳の障害場所を指していると言われました。そして13日後、一般病室に移っていました。これからはリハビリが主体となるとのことでしたが、母は「キツイ、キツイ」と体の異変を訴えていましたが、病院側は、「リハビリは痛みを伴う物だから」と無視しているように感じていました。

 

1月初めに、○病院に転院しました。息使いは荒かったのですが、眼球は正常となり、右手右足は動かないままでしたが、顔色も良くて一段落という感じでした。

 

 

しかし5日後、突然意識が無くなり●病院へ転院となりました。そして下された診断は、右頭部の脳梗塞でした。この時から意識は戻ることなく母の体は、全く動かなくなり、ガーガーとイビキをかく危険な状態でした。

翌日、顔や手が腫れ上がっていましたが、落ち着いておりました。

そして2日後、叔父さんが面会に来て、「なぜ病院に入院していて病状が悪化するのか」と疑問に思い、担当の医師にそのことを質問しました。すると「今回は右の頭部に脳梗塞を起こしており、全くの別の病気である」ように話されました。この後、叔父さんとこれからのことを話しました。

 

叔父さんの意見は「このまま良くなることはないだろう、俺はこうなりたくない」と言われ、家に連れて帰ることを勧められました。

叔父さんがこのような事を話された気持ちが私には分かります。それは、母の姉が胃ろうをして意識が無いまま10年間生かされていたのです。姉の生き方が辛かったと思います。そして、この叔母さんの話は、いとこからも話を聞いていました。それは、いとこの辛い心の内です。彼女は、意識の無い母の施設の近くを車で通るたびに、動悸がしたと語ってくれました。

 

そして、叔父さんは、姪のSさんが元●病院に勤務をしていたので、そちらに相談するよう勧められました。

 

早速翌日Sさんに今までの経過と、私の思いを話しました。すると、「今までの経過を文章に書き、そして主治医が誰なのか明記しておいた方が良い」と言われました。そして「主治医の先生にこれからの予測と対応を聞き、〝私達は自然死を希望します〟と話しなさい」と言われました。また、「病院は胃ろう(直接お腹に穴を開け、直接胃袋に栄養を送る管を通すこと)を勧められると思うが、それは拒否しなさい。その訳は、内臓が元気であれば意識が無くとも何年も生きるからです。それと、胃ろうをしたら外せなくなる事」を教えてもらいました。

しかし、●病院の医師からは、次の病院へ転院することを勧められ、なぜこの状態で転院なのか分らないので、この事もSさんに聞きますと「●病院は緊急病院なので、患者の入院二週間後より国から病院へ支払われる診療報酬が減額するから」と聞きました。これで、病院が転院させたがる疑問が解けました。

  • 病院の医師が提案した次の転院先は、前に入院していた○病院と言う事で、まず私の妹と、親戚7家族に、現在の母の病状と、これからの事と、私の思いを事前に話して納得してもらい、その後に身内と親戚、そして母のケアーマネージャーさんの7人で○病院の元・担当医師である副院長先生と話し合いに行きました。

 

私達のお願いは、「薬の投与は止めてほしい、延命治療はしないでほしい、在宅介護が出来る様に持って行きたい」である事を告げますと、私達の想いが副院長先生に伝わり承諾して頂きました。これで皆ほっとしました。

 

ところがこの2時間後、副院長先生から電話があり、「実はあれから院長、事務長と話したのですが、家族の思い通りには出来なくなりました。また後日に話しましょう」と言われました。

 

3日後の2月6日、私と妻の2人で○病院に行き、副院長先生と話ました。「院長、事務長と話して、送管を外すとか、人工呼吸器を外す事はならない。尊厳死など、書類上で交す事はならない。本人の意思が確認出来ない場合は、やってはならない。心臓マッサージなどしないことは出来る。現時点以上積極的な治療は拒否出来るが、薬剤投与を中止する事は出来ない。本人の意思が確認出来ない訳ですから、家族の意思だけでは、いまの法律では出来ない。元気な時に、一筆書いておけば違う。●病院から引き継いだら、今の治療は、続けなくてはならない…」と、この様な話がありました。私は、ここではだめだと感じ、●病院へ再び直談判する事を決意しました。

その日の内に早速、●病院の主治医の先生と話す事が出来ました。主治医の先生は「お母様の容態について、今後大きな回復は見込めないでしょう」と言われ、また○病院へ転院することを勧められました。そこで「私はこれ以上母の回復が見込めないのであれば、これ以上の治療はさせたくない。本人も以前から自然死を望んでおり、薬の副作用が怖くて服用をしていませんでした」と話しました。すると先生は「自然死を希望でしたら、正式な書類はありますか?」と聞かれたので「ありません」と答えました。「私達家族はこれ以上の薬は使ってほしくないんです。それでも止められないのですか」と尋ねると、「病院は治療する所なので、止められません。この頭の病気は痛みを感じませんから」と言われました。その言葉を聞いて、私は「この先生は、自分が体験した事がない病気の痛みが、どうして分かるのか」と心の中で憤慨しました。

そこで私は、最後の手段に出ました。この言葉は言いたくないと思っていましたが、「母は八〇歳で後期高齢者医療保険に加入しています。母は一割負担ですがそれを拒否しても薬を投与しますか?」と聞きますと、主治医の先生は「薬を入れたくないのなら家に連れて帰る事でしょうね。その為ためには往診してくれて、死亡診断書を書いてくれる医師を探して下さい。多分すぐには見つからないでしょう」と言われ、続けて「まずは○病院に転院してから、往診をしてくれる先生を探し、設備を整える方が良いでしょう」と勧められました。

 

そうこうしているうちに、地域医療を頑張っておられるⅩ医院のⅩ先生の事がふと頭に浮かびましたので、その先生の所へ行って事情を話し、お願いしてみようと思いました。先生にはそれまでの経緯を事細かに話し、「私、そして家族の気持ちは、母を自宅で介護したいので、ぜひ先生に往診をお願いします」と言いました。するとⅩ先生は「いいですよ」とすぐに答えて下さり、そして「●病院の主治医の先生にこう言いなさい。〝Ⅹ医院のⅩ先生が快く引き受けます、言って下さいました〟とね」との温かい言葉を頂きました。やっと私達の気持ちを理解してくれる先生に巡り会い、涙が出るほど嬉しくなり、Ⅹ先生に感謝申し上げました。

そして、Ⅹ先生はこんな事も話されました。

「歳を取ったら、近くの個人病院で見てもらい、緊急の場合はまず掛かり付けの医師に電話をすることです。そしたら、その先生が指示されますよ」

 

それから、母の退院の日時が決まり、Ⅹ先生は母のケアーマネージャーさんに介護ベッドとエアーマットを用意するように指示されました。

Ⅹ先生:「寝たきりだとどうしても床ずれをおこしやすいので、床ずれは痛いらしいよ。そうしたくないからね」

そして、●病院では酸素のチューブが鼻の前に付けてある事を話しましたら、

Ⅹ先生:「そのチューブ外した事はないの?」

私:「外れていた事はありますが、大丈夫でした」

Ⅹ先生:「それじゃあ外しておいで」

とあっさり言われました。

私:「食べ物を送るために、鼻から胃袋に通されたチューブはどうしましょうか?」

Ⅹ先生:「そのまま付けて来て、家で外しましょう。その後は点滴をしましょう」

私はⅩ先生の言葉を聞き「凄いな~」と思い、母と私達家族の気持ちを快く汲み取って対応して下さる、なんて優しい先生だろうと感じました。

 

Ⅹ先生:「もし●病院から連れて帰っている時に、お母さんの容体がおかしくなったら直ぐに電話しなさい。あなたの家へ先に行っていますからね」

これで準備が整いました。

そして私は、以前から思っていた質問をⅩ先生へぶつけてみました。

私:「しかし、どうして●病院の医師は患者家族に対して、なぜ上から目線で話すのでしょうか?」

Ⅹ先生:「それは私達にも原因があるのよ。私達町医者は、重病患者さんは、どうしても大きな病院に送らざるをえないから、大病院の担当医師にそこで頭を下げて「お願いします」と言うのですよ。それで、いつの間にか自分が偉くなったと勘違いしている医師も多いのですよ」

とこういう話をして下さるⅩ先生の凄さに、私は驚くばかりでした。

 

2月8日午後2時に、●病院のYさんから呼ばれ、「お母様の退院は良いのですが、親戚の承諾はあるのでしょうか?」と聞かれ、○病院へ私の気持ちを事前に承諾してくれた親戚の人を一緒に連れて行き、お願いしたことを話しました。すると、「約束の時間に来た事でもあり、信用しましょう」と話されました。

 

2月10日、●病院の相談員さんから電話があり、退院の車の事でお話しがありました。

相談員:「介護タクシーを病院から手配しましょうか?実費になりますが」

私:「病院の車で送ってもらえませんか?」

相談員:「病院から病院の転院でしたら、病院の車を使えますが、退院には使用できません」

私:「それでしたら、自家用車のワゴン車で迎えに行きます」

相談員:「ちょっと待って下さい。主治医に相談します」

そして出た答えは、

相談員:「良いと言う事でした。車に乗せるまで病院側がお手伝いします」

まさかのダメ元で言った事が、承諾されるとはビックリしました。

 

それからとんとん拍子に事が運び、2月13日に●病院を退院する時は、親戚の方と4人で迎えに行きました。すると、主治医の先生と看護師さんが4人ぐらい出てこられ、私のワゴン車に乗せて頂きました。そして、連れて帰ることが出来ました。

 

退院して早速Ⅹ先生に往診をお願いし、これからの対応の仕方を確認されました。食事は点滴にして、鼻からの流動食の管は外して頂きました。

Ⅹ先生:「何か変化があれば、夜中でも、いつでも電話しなさい」

と大変温かい言葉を頂き、大船に乗ったような感じになりました。

家に帰った母の状態は、疲れた感じは見られず、時々一時的に呼吸は止まる事がありましたが、スヤスヤと寝ていました。介護は私と妻と子供達3人で協力してすることになります。いよいよ介護生活開始です。

母の部屋には、母が好きな演歌の曲を流しました。2日に1回は頭をシャンプーでお湯洗い、体を温かいタオルで拭きました。美容室の方に来て頂き、髪のカットもお願いしました。タンで呼吸が出来にくくなると、割りばしにティシュを巻いて取り除きました。

そして、1週間が経った頃に、遠くからわざわざ介護の手伝いに、叔母さんが来てくれたのです。叔母さんは私の体を心配して来て下さったのです。叔母さんは、その後亡くなった母の葬式が終わるまでの12日間も、私の家でお手伝いをして下さいました。叔母さん、本当に有難うございました。

そのような親戚さんからも温かい応援を受けながら、母は2月末日午前10時15分、眠る様に永眠しました。

母の亡骸が綺麗で葬儀に参列された方々がビックリされていました。

 

今までは、家族の気持ちはどんな場合でも医師に届くと信じていました。

しかし、実際には「自分の身を守るため、薬さえ投与しておけば自分は悪くならない」と考えているとしか思えない医師も多いようです。実際、過去に患者家族から「薬を止めてほしい」と医師がお願いされたので薬を止めたところ、その後患者が死亡し、別の親戚から「薬を止めたから死に至った」と告訴され、裁判では医師が敗訴した事例があったようで、医師はこれを恐れているようです。

 

それに比べ、今回お世話になりましたⅩ先生は「僕は失う物が無いから大丈夫だよ」と言われていたのですが、この言葉の意味が最初は良く分かっていませんでしたが、今、とても理解出来ました。やっぱり凄いお医者さんです。

 

母が入院中は、病院の紙おむつやパジャマを利用しないで、紙おむつは外部の薬屋さんから購入して、パジャマは家で洗濯して毎日病院へ通いました。意識のない状態で病院へ見舞に行くのは苦痛です。行かない方が母の苦しそうな顏を見ずに済むので楽なのです。しかし、病院に預けていて、せめて、毎日見舞に行くように、自分にプレッシャーを掛けたのです。自分がやるべき事をする。そうしたら、きっと道は開けると思いました。

 

沢山の人に意見やアドバイスを頂きお世話になりました。みなさんに感謝しています。

そして、●病院、主治医の先生に対しても、おかげで私は言いたい事を全部申す事が出来、良い結果を選択出来ました。全く感謝です。

 

 

お母さんありがとう御座いました。

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